『INSIDE』 戦略的設計と背景に組み込まれた罠とは

ゲームに限らず、ソフトウェア開発には「制約」が付き物です。プロジェクトごとに予算が組まれ、メンバーが招集されます。納期は開発者自身が工数を見積るはずなのですが、顧客(あるいは会社のエラい人たち)から希望納期を言い渡されることもあります。

私自身はプロジェクトマネージャーとして仕事をしていたこともありますが、業務システムにせよ、ゲームソフトにせよ、開発とは費用・人員・時間という現実的な「制約」の中で行われていると言えるでしょう。

『INSIDE』は、Playdeadというデンマークの開発会社によって制作されました。Wikiによれば、25名の小規模な開発スタジオです。Playdeadは以前『LIMBO』というタイトルをリリースしており、『INSIDE』はゲーム性や雰囲気において『LIMBO』の流れを汲む作品となっています。優れたゲームを生み出している彼らですが、『INSIDE』の開発には多少のいざこざもあったようです。

『LIMBO』『INSIDE』のPlaydead、昨年夏に開発サイクルを巡り内紛か – AUTOMATON
http://jp.automaton.am/articles/newsjp/20170123-38760/

Playdeadでビジネス面を担当していたDino Patti氏と、開発チームを率いていたArnt Jensen氏の間で開発期間を巡って対立が生じ、開発タイトルの所有権を争う事態にまで発展してしまった、ということがあったようです。

開発期間、つまり、納期を巡る対立は開発現場ではよくあることです。Playdeadで一体なにが起きていたのか、実情は関係者のみぞ知るところですが、少なくとも、『FINAL FANTASY XV』や『ペルソナ5』のような、最高のクオリティのためにあらゆるコストを投じることができる状況ではなかったでしょう。『INSIDE』は、限られた人員と時間という、まさに制約の中で生み出されたわけです。

Playdeadは、ビジネス面でも制約を抱えていました。前作『LIMBO』から『INSIDE』のリリースまで、実に6年もの月日が経過しています。経営を考えれば、『INSIDE』一本で6年分のコストを回収しなくてはなりません。デンマーク国内の市場規模はそれほど大きくはありませんから、ヨーロッパ、アメリカ、日本という海外市場へ打って出る必要があります。が、派手なプロモーションを行えば、それはそれで大変な費用がかかります。当然ではありますが、やはり、利益とコストは手強い「制約」の1つなのです。

『INSIDE』に突きつけられた要求を整理してみましょう。まず、開発リソースが限られている以上、作品の本質的な面白さをぎりぎり損なわずに、最少のコンポーネント(要素)まで削ぎ落とさなければなりません。もちろん、安っぽくなってもだめですし、物足りない内容でもいけません。

一方、マーケティングの観点からは、海外展開を前提とした造りに仕上げる必要があります。たとえば、ローカライズの手間を削減するために言語表現を抑えたり、説明不要のわかりやすい操作性などが重要となります。そして、世界中のゲームファンの間でバイラルを起こし、作品を海外ユーザーに認知してもらわなくてはなりません。

Playdeadは、この無理難題をいかにして解決し、『INSIDE』に盛り込んだのでしょうか。

冒頭で、本作を「左から右に進むゲーム」だと言いました。なぜ古典的なジャンルのゲームとなったのか、その理由は「制約」から逆算すると見えてきます。

Playdeadは、高度なアクション性を捨て、面白さを維持できる最もシンプルな形態を選択したのです。また、プレイ一周が2~3時間であることも偶然ではなく、開発コストを抑えるために短編作品として仕上げたと考えられます。とはいえ、周回プレイを前提とした造り(隠しエンディングなど)が組み込まれているので、物足りないという感じはありません。むしろ、プレイ時間の短さは、周回が苦にならないというメリットもあり、非常に合理的な設計となっているのです。

マーケティング面の要求にも対応が成されています。本作で文字が表れるのは、タイトル、メニュー、スタッフロールくらいですし、操作に至っては、歩く・ジャンプ・持つの3動作に絞られています。これなら、どこの国の人でもすぐに遊ぶことができるはずです。

そして、「世界中でバイラル効果を起こす」という最大の課題には、ホラーテイストに仕上げることで解決しました。残虐な表現によって引き起こされた恐怖は、その原始的な感情のままに世界中でシェアされていったわけです。

こういった工夫は、前作『LIMBO』で既に実践されており、さらにブラッシュアップされたかたちで『INSIDE』にも活用されています。このように考えると、『LIMBO』も『INSIDE』も、単なる感性ではなく、理論的で緻密な戦略に基づいた作品に見えてくるのです。