ゲームで性愛をもたらすことはできるか 女性向けゲームの動向と新作ADVアプリ『誰ソ彼ホテル』

※ここから先は、SEECのゲームアプリ『誰ソ彼ホテル』の結末に関わる内容が含まれています。プレイ済みの方のみご覧下さい

過剰な贈与と理不尽な剥奪、そしてヴァンパイア

この問いのヒントになったのは、意外なことにアイドルグループのももいろクローバーZです。1月15日放送のAbemaTV「AbemaPrime」では、社会学者の宮台真司氏(首都大学東京教授)が、ももクロの魅力を「圧倒的な“贈与”だ」と語っていました。その主旨は、予想を超えるアクロバティックなパフォーマンスこそがファンへの圧倒的な“贈与”であり、それを実現しようとする一生懸命な姿勢が彼女たちを聖なる存在(アイドル)たらしめている、というものです。ここで注目すべきなのは「ファンの予想を越えている」という点です。ももクロはファンのニーズに追随などせず、そんなものはとうに追い越しているからこそ、モノノフたち(ももクロのファン)に圧倒的な感動を与えることができるのでしょう。

宮台氏は様々な評論で“贈与”と“剥奪”という概念を用いています。何やら経済学の用語のようですが、物品や資産の取引(等価交換)ではなく、むしろ、バランスを欠くほど過剰に与えること、また、相手の都合も考えないまま滅茶苦茶に奪うことを意味します。そして、時折ですが、法律や常識、倫理、損得といった社会のお約束をひらりと乗り越えて、天災のように過剰な“贈与”と理不尽な“剥奪”をもたらしてしまう人がいるのです。宮台氏はその存在をメタファー(暗喩)として“ヴァンパイア”と呼んでいます。

女性向けゲームでは吸血鬼をモチーフとしたキャラクターが少なくありません。血を吸ったり、日光に弱かったり、老化しない肉体だったりと、それらしいアイコンを身につけています。が、それは単なるファッションに過ぎず、結局は皆一様にユーザーの期待通りに振る舞い、「頑張れば報われる」「愛せば愛してもらえる」という等価交換の世界で、その社会に(組織に)望まれた存在として律儀に祝福されていたりするのです。そもそも伝承や古い映画に出てくる“ヴァンパイア”とは、人間の女性を唆(そそのか)し、自分が生きるために吸血(=理不尽な“剥奪”)を行い、相手を人ならざるモノにしてしまう(=過剰な“贈与”)ような人知の及ばぬ存在だったはずではないでしょうか。そう考えると、最近の吸血鬼キャラはちっとも“ヴァンパイア”的でないのです。

コントロール不能な男

では、真に“ヴァンパイア”的とはどのようなキャラクターなのか。その手がかりとなるゲームをご紹介したいと思います。それはSEECの脱出アドベンチャーノベル『誰ソ彼ホテル』(iOS / Android)です。

『誰ソ彼ホテル』は、生と死の狭間にある洋館風のホテル「黄昏ホテル」を舞台とした長編アドベンチャーゲームです。主人公・塚原音子(つかはら ねこ)は、どういうわけか黄昏ホテルに行き着いてしまい、そのまま従業員として働くこととなります。宿泊客は皆、生きているかもしれないし、既に亡くなっているかもしれない人たちの魂です。彼らの多くはこれまでの経緯はおろか、自分の名前も思い出せないまま、不思議とホテルに流れ着いてきます。そこで音子は、客室係として部屋に残されている宿泊客の記憶の痕跡を集め、なぜ彼らが黄昏ホテルに来ることとなったのか、その真実を突きとめていきます。

さて、本稿で注目したいのは、宿泊客の一人として登場する大外聖生(おおそと まさき)です。彼は紳士然とした見た目とは裏腹に、実に刺激的で“ヴァンパイア”的なキャラクターなのです。

最初に彼は「探偵」と名乗るのですが、これが全くの嘘で、実は連続婦女暴行犯であり、さらに面識のない男性をストーキングの末に殺害、黄昏ホテルに来てからも「彼を生きたまま食べたい」という異様な妄想に取り憑かれたままで、大外の凶行を止めようとする音子を歯が折れるほど殴打するなど、自己中心的で相手構わず暴虐の限りを尽くします。そのくせ、表の顔はエリート医大生として過ごしており、「友人には困ってない」と言うほど社交的で、恋人は「ミス日本、モデル、女子アナ、気象予報士、医大生」の5人もいるという、リア充のカタマリのような生活を送っているのです。音子を理不尽になじり、「ダルマを作りたい(手足を切り落とす)」と脅して、怯える姿に狂喜する様は確かに異様で不快なのですが、どういうわけか大外はユーザー(特に女性)に大変人気があるのも事実です。では何故、芸能人でもなく、どこかの国の王子様でもなく、利己的な犯罪者である彼なのでしょうか。

ヴァンパイアがもたらす最大の贈与とは

大外聖生がこれまでのキャラクターと決定的に異なるのは、ユーザーのコントロール欲求(メサイア・コンプレクス)に全く応じないところです。彼は社会に完全に最適化されているようで、本当は「慈しめば愛される」「頑張れば報われる」などという取引が成り立たないことを知っています。そして、内には圧倒的で自己中心的な“剥奪”の欲望を秘めており、それを何とか飼い慣らしながら社会の縁(ふち)ギリギリのところを嬉々として綱渡りしている――それが大外聖生の本質であり、丁度、人間に“なりすまして”華やかな夜会に紛れ込む“ヴァンパイア”と重なります。

どれほど上手く人間のフリをしていても、“ヴァンパイア”は血を吸わなければ生きていけないように、大外聖生は“剥奪”を無くして生きることができません。そのために、社会を真っ当に生きる誰かをいつも誘惑し、籠絡して吸血(=“剥奪”)のチャンスを得ようとします。それが以下のシーンです。

大外「僕が思うに、君(※音子のこと)は簡単にこちら側に来られる人間だよ。(中略)やるかやらないかの選択を迫られた時、君はやる側の人間だと思う。これは僕の願望でもあるんだ。君には、ただ受け入れるだけしか能のない女にはなって欲しくない。」

音子「何を言ってるんですか、大外さん」

大外「僕を失望させてくれるなよって事さ」

この時点ではまだ音子は大外の意図を図りかねていますが、その後の重要な選択を迫られるシーンでプレイヤー(=音子)は何度もこのやり取りを思い出すことになります。そして、遂に音子は大外の手に堕ち、率先して身を差し出して共犯関係を結んでしまうのです。こうして見ると、『誰ソ彼ホテル』は、“ヴァンパイア”の大外聖生に偶然選ばれてしまった塚原音子が自ら破滅していく物語とも読むことができるでしょう。

一見、二人の関係は不可解です。現世に戻った音子がさっさと警察に通報してしまえば大外は終わりなのですから。にも関わらず、音子がそうしないのは何故か。その理由は“剥奪”と表裏一体の関係にある“贈与”に目を向けると見えてきます。

大外は音子に対して精神的・肉体的に“剥奪”を繰り返すのですが、同時に、暴力の享楽を見せつけているとも言えます。それは、一般人として生きていれば絶対に味わうことのできない、“ヴァンパイア”だけに許された法外なエンターテインメントです。実はこれこそが大外の言う「こちら側」の世界であり、音子は被害者という立場からではありますが、本来目にしてはならない世界を何度も目撃してしまいました。つまり、大外は暴力による理不尽な“剥奪”と共に、「こちら側」の享楽に引きずり込むという過剰な“贈与”を音子にもたらしている、という構図が成立していたのです。こうして音子は自然に(共依存では無く)、暴力の享楽を共有する関係、つまり共犯を望むようになります。

大外聖生と塚原音子の関係は、他者には理解できない同一の妄想を共有しているという点において、(作中では明言されていませんが)互いに相手の心を映し合う恋愛関係に酷似してはいないでしょうか。ここでいう恋愛(感情)とは、メサイア・コンプレックスに基づくコントロール欲求を偽装したものではなく、性愛(エロス)に基づいた感情です。“ヴァンパイア”がもたらす最大の“贈与”とは、この性愛に基づく恋愛感情なのです。だからこそ、大外聖生はメサイア・コンプレックスに応じず、フェチ要素も持たないのに女性の心を強く惹きつけるのであり、彼が紛れもなく本物の“ヴァンパイア”であることの証でもあります。

恋愛困難な時代にゲームで性愛を取り戻せるか

総務省が発表した「平成27年版 少子化社会対策白書」では、未婚者且つ現在恋人がいない人を対象とした意識調査で「恋人が欲しいですか」と質問しており、「恋人が欲しくない」と回答した人の割合が20代未婚女性で最も高いという結果が掲載されています。20代の未婚女性といえば最も恋愛意欲の高そうな年齢なのに、ちょっと意外な結果です。

回答結果 恋人が欲しいですか(未婚者かつ現在恋人がいない人)〈単一回答〉

20代は仕事に勉強に人生で最も忙しい時期ですから、恋愛なんてしていられないのかもしれません。もちろん、どんな理由にせよ一概に言えるものはないのですが、私としてはその根底に「性愛へのタブー視」があるようにも思えるのです。

たとえば、羽海野チカの『3月のライオン』では、中学生の川本ひなたがクラスでいじめに遭うようになり、それを見かねた同級生の男子生徒がひなたをキャッチボールに誘うというシーンがあるのですが、このことがかえっていじめを激化させ、「ビッチ」とか「ヤリマン」などと誹謗中傷を受けることとなります。私はこのエピソードをTVアニメで見ていたのですが、ジェネレーションギャップを感じずにはいられませんでした。というのも、異性との接触を蔑視するという文化は、私(33歳のおばちゃんです)が中高生だった頃にはほとんどなかったからです。少なくとも、異性にモテるとか性的な体験が豊富であることが必ずしもカーストの転落には繋がらない時代でした。ところが、オトナの厳正な管理下で育った今の若い世代にとって、性愛は排斥されるべきものであり、語ったり、ましてや自由に体験するなど以ての外なのです。ここまで強いタブー視がそう簡単に解けるとも思えません。そういうわけで、「恋人が欲しくない」という言葉には色々と社会的背景があるのでは、などとついつい勘ぐってしまいたくもなるのです。

さて、ここで興味深いのは、性愛を描いた『誰ソ彼ホテル』が、Twitterなどで見る限り、若い女性ユーザーの間で好評を博しているという事実です。察するに、若い世代は性愛をタブー視しながらも、完全にあきらめてしまったわけではないのでしょう。ただ、知りたいけれど生々しい内容は気が引ける……。そこで、ゲームという形式が効いてきます。リアルな体験ははばかられますが、ゲームを通じた恋愛体験なら語りやすく、共有しやすい。制作者が知ってか知らずか、『誰ソ彼ホテル』はこの恋愛困難な時代において、性愛を囲う分厚い壁に風穴を開けてくれたのです。その意味で、『誰ソ彼ホテル』は名作ゲームと言っても全く過言ではないでしょう。

2018年も女性向けゲームが数多くリリースされるでしょう。ユーザーが増えれば市場も拡大します。しかし、もうフェチに頼っていては売れないのです。ニーズを追い回している場合ではありません。

ユーザーと幸せな関係を築いていけるのは、ユーザーに圧倒的な“贈与”ができるタイトルだけです。もちろん、有償アイテムを配れとかそういうことを言っているのではありません。女性向けゲームは性愛(エロス)をもたらすことができるか。このテーマに挑戦するタイトルを、そして過剰な“贈与”と理不尽な“剥奪”を生きる“ヴァンパイア”の出現を密かに期待しているのは、きっと私だけではないはずです。