『パラッパラッパー』 始祖の功績と失われた音ゲーの20年間

『パラッパラッパー』は1996年12月に発売された音楽ゲームです。今年は発売20周年にあたり、それを記念してPlayStation4でHDリマスター版が発売されました。

『パラッパラッパー』は音楽をモチーフとした、いわゆる「音ゲー」ジャンルの始祖とも言える作品です。ミュージシャンである松浦雅也氏が手掛け、ポップで独特なグラフィックはロドニー・アラン・グリーンブラット氏によってデザインされました。ゲームはシンプルで、リズムに合わせてボタンを押すと、主人公のパラッパがラップを刻みます。最初に示される先生役のお手本どおりにラップができれば、評価が上がるというシステムです。今でこそお馴染みのゲームシステムですが、簡単な操作で新しいゲーム性を実現した点は今も高く評価されています。セールスは累計148万本、音楽ゲームジャンルではその後12年間、2009年まで販売本数1位の座に君臨し続けるほどのヒット作となりました。では『パラッパラッパー』の復刻は、音楽ゲームというジャンルにとって、今どのような意味を持つのでしょうか。

音楽ゲームの系譜

『パラッパラッパー』以降、今日まで様々な音楽ゲームが制作されました。下の図はその主なタイトルをざっとまとめた年表です。『パラッパラッパー』の直後には『beatmania』『Dance Dance Revolution』『DrumMania』『GuitarFreaks』といったアーケードタイトルが登場し、今も人気を集めています。いずれも大型の筐体で、楽器演奏やダンス的な動きで入力(imput)するタイプのゲームです。演奏も演技も本来はトレーニングの末に体得するものですが、難解な部分を削ぎ落としてモデル化することで、本来の楽しさがそのままにゲームへ移植されています。

参考動画

コンシューマーゲーム機では、エニックス(現スクウェア・エニックス)から『バスト ア ムーブ』が発売されました。ダンスの格好良さを競うゲームで、実在のダンサーからモーションキャプチャーされたリアルな動きは当時画期的なものでした。同作には好きなキャラクターのダンスを眺めることのできる「dance view」も搭載されており、リズムを刻むことと並んで、見る / 見せる楽しみへの試みが見て取れます。

見る / 見せるという楽しみはアーケードタイトルでも「魅せプレイ」という特殊な遊び方として編み出されました。筐体で画面を背にして立ち、外側(観客側)を向いてプレイするというスタイルで、『Dance Dance Revolution』でよく行われていました。魅せプレイでは左右反転してステップをふまなくてはならず、しかもプレイヤーは画面を見ることができないため、通常と比べて難易度は格段に上がってしまいます。ですが、魅せプレイヤーたちは更にオリジナルの振付けを加えたり、ペアでぴったりシンクロしてプレイするなど、ゲームのスコアとは異なるところで自分なりの楽しみ方をカスタマイズしていきました。上手な魅せプレイヤーが現われると店舗の軒先に人だかりができるほどで、その光景はストリートダンスを彷彿させます。

魅せるプレイから閉じたプレイへ

しかし、魅せプレイのような自己表現的な遊び方は次第に衰退していきました。もともと魅せプレイ自体がいわゆる縛りプレイのような特殊な遊び方であり、なかなかメインストリームには乗り切れなかったのかもしれません。今もプレイスタイルの主流は、譜面に対して入力(ステップを踏む、キーを押すなど)をジャストミートさせようとするもので、ノーツを目で見るか、音楽を耳で聞くか、どちらにせよ指示に対する入力の正確さを競うという点では自分の反射神経を試す遊び方です。この流れを決定づけたのは2009年に発売された『リズム天国 ゴールド』でした。

『リズム天国 ゴールド』は『パラッパラッパー』が12年間保持し続けた1位の座を越え、累計販売本数は159万4,000本に達しました。それと並行して『beatmania』『Dance Dance Revolution』『DrumMania』『GuitarFreaks』なども超高難度の曲が追加され、実際の楽器演奏やダンスではありえないような動きが求められるようにありました。魅せプレイの盛んだった『Dance Dance Revolution』も、足を高速でバタバタさせてステップを踏み続けるようなおよそダンスとは呼べない動作が必要となってしまい、そうしなければクリアすることもままならないというのが現状です。

アクション性の急激な難化によって、楽器やダンスの疑似体験を通じた自己表現の余地はどんどん失われていきました。誰かに向けた自己表現ではなく、自分が自分に満足するためにひたすらハイスコアを追い求める。そんなナルシシズム的な閉じた遊び方に収束していったのです。音楽ゲームは「音ゲー」と略され、多くの場合はリズムアクションゲームを指します。しかし、音楽の本来持っていた自己表現性が実質的にほとんど脱落しているにもかかわらず、リズムアクションゲームを本当に「音楽ゲーム」と呼べるのでしょうか。むしろ、その主体はいかに規則正しく動くかという反射神経を競うアクションゲームであるように思えてなりません。

ユーザーと開発者の共依存

『リズム天国 ゴールド』以降、音楽ゲームにおいて私たちは指示通りにプレイすることに随分囚われてきたのではないでしょうか。音楽ゲームのこれまでについて『パラッパラッパー』のプロデューサーである松浦氏は次のように話しています。

『パラッパ』以降の音楽ゲームは、”100点満点のあるゲーム”が多くなったことが少し残念ではありました。

PlayStation. Blogより

確かに、音楽ゲーム(リズムアクションゲーム)を作る側も遊ぶ側も100点満点を目指して聞き分けの良い子供を長らく演じてきたのかもしれません。“Perfect”の評価を得るために、ユーザーは脇目も振らずにスコアを求め続けてきました。一方で、開発者側もユーザーが更なる難度を求めていると信じて疑わず、音楽ゲームと称しながら本来の演奏や演技からかけ離れた譜面を作り続けました。両者の関係はまるで共依存的です。そして、この共依存的関係はジャンル衰退の予兆でもあります。

あるジャンルやゲームに対して反論や疑問を呈すると、何故かその内容よりも先にプレイスキルが問われるという場面に遭遇します。その背景には、相手が自分と同等あるいはそれ以上に高度なプレイスキルを有したユーザーでなければ、どんな意見も聞く価値など無いという特権意識があるようです。でも、まともな意見かどうかは当人のプレイスキルと全く関係ありませんし、一度もそのゲームをプレイしたことの無い人が重要な指摘をする可能性さえあります。どうにも根拠の見当たらない不思議な考え方です。

この妙な意識は「意見を述べるならば、まず遊び込め」というルールを生み出します。しかし、プレイを何度も重ねた人は元々そのゲームが大好きでしょうから、そのゲームやジャンルの動向も好意的に受け止めているはずです。逆に、不満や反対意見のある人は遊び込む前にプレイをやめてしまうので、意見を述べる順番がいつまでも回ってこない。つまり、プレイスキルやランクの高さでユーザーの発言力が決まるという制度は、あらゆるユーザーに対して現状への肯定を迫り、反対意見や外部の意見を圧殺してしまうのです。

「反対意見を言わないなら、受け入れてやろう」という意識は「受け入れてもらうには、ユーザーの / 開発者の言いなりになるしかない」という共依存的な関係でもあり、ジャンル全体が内輪受けへと陥っていきます。内輪受けは、支持者の間ではジャンルが盛り上がっているように見えますが、そうでない人にとっては極端な難化と些末なアップデートが繰り返されているように感じられ、ジャンルの間口はどんどん狭くなるばかりです。こうして集客力が低下し、ジャンルは徐々に衰退していきます。ジャンルの盛衰は必ずしもビジネスの規模で測定されるものではありませんが、プレイヤーの減少はジャンルの存続を左右する大きな問題です。

音楽ゲームは低下した集客力を『ラブライブ!』『THE IDOLM@STER』といった人気IPによって補い、辛うじて生きながらえています。ですが、それで音楽ゲームが独立性を十分に保っているかは微妙なところでしょう。音楽ゲームがアイドル育成ゲームの中でタスクの一種(Game in Game)のように扱われているケースもあり、そうなるといよいよジャンルの将来は雲行きが怪しいと言わざるを得ません。

自己表現性と自由度への挑戦

こうして考えてみると、『パラッパラッパー』がリズムアクションゲームの始祖でありながら、いかに特異な存在だったかが見えてきます。『パラッパラッパー』の試みは、譜面への従属ではなく、音楽の本来持つ自己表現性と自由度の拡大にありました。それが最もよく表れているのが「COOLモード」です。同作では曲中で最高評価を得ると、COOLモードという特別なステージに突入します。COOLモードではお手本(譜面)が消失し、グルーヴにのりながらアドリブでラップを刻むように求められます。この時の判定基準はやや荒削りではあるものの、曲のクライマックスで指示(ノーツ)だらけになる現行のリズムアクションゲームとは実に対照的です。『パラッパラッパー』はプレイヤーの“自分なり”の表現を評価してくれる唯一無二の音楽ゲームであり、発売から20年経た今でも無限に広がる面白さと斬新さが輝いています。

通常は上部に表示されているノーツが消失している

さて、ここで松浦氏の言葉をもう一つ挙げたいと思います。

音楽は、表現の自由さが重要です。

PlayStation. Blogより

この言葉のとおり、音楽はとても自由です。自由であるからこそ、自然に身体がリズムを刻む楽しさを感じることができます。一方、ゲームはルールの集合体です。プレイヤーの「できること」と「してはいけないこと」がカッチリと決まっていて、どれだけ効率的に指示通りに動けたかで評価が決まります。したがって、音楽ゲームとは、この相反する2つを融合させてインタラクティブ性を実現させようとするものであり、とても面白いけれど、設計は極めて難しいジャンルなのです。『パラッパラッパー』は音楽の自由さとゲーム性の両立に初めて挑戦した記念碑的作品です。しかし、音楽ゲームはこの挑戦から20年間ずっと撤退し続け、設計の課題を解決するようなイノベーションが生まれることはありませんでした。結局、音楽的な自己表現をあきらめてアクションゲームとして生き残るほか無く、更にはジャンル自体の存続さえ困難な状況にあります。

世界的なゲームデザイナーであるChris Crawfordは、インタラクティブ性を次のように表しています。

インタラクティブ性 = 達成可能性 / 想定可能性

想定可能性とはプレイヤーがやりたいと思うこと、達成可能性とはプレイヤーが実際に体験できたことを指します。インタラクティブ性を高くする(1に近づける)には、分子を増やすか、分母を減らすしかありません。そして、『パラッパラッパー』以降のの音楽ゲームは分母をぐっと小さく抑えるように設計されてきました。「譜面通りに入力しなさい」という指示しかユーザーに提示してこなかったのです。時折、魅せプレイのようにユーザーが想定外の特殊な遊び方を発見することもあったものの、その楽しさを汲み取ってくれるクリエイターはついに現われませんでした。

音楽ゲームが衰退した原因は内輪受けを狙いすぎたことです。そして、内輪受けの根幹にはスキル、スコア、ランクへの過剰な従属があります。この問題を打破するには、音楽本来の自由さと自己表現性への挑戦が今再び必要です。もちろん、決して簡単なことではないでしょう。しかし、音楽ゲームというジャンルは今、岐路に立たされています。このままアクションゲームとして生き延びるか、今度こそ進化するのか。厳しい状況は続きますが、パラッパのように「I gotta believe!(僕ならできるさ!)」と、ピンチを救ってくれるクリエイターが現われることを私は願っています。

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