ゲームで性愛をもたらすことはできるか 女性向けゲームの動向と新作ADVアプリ『誰ソ彼ホテル』

あらためて昨年を振り返ってみると、やはりIPタイトルと女性向けゲーム(乙女ゲーム)がトレンドを牽引した年だったように思います。PickUPs!では、年末にゲームアプリ市場専門のマーケティングリサーチ会社であるスパイスマートと協力し、セールスランキング推移から2017年の市場動向を総括したレポートを4Gamerで掲載しました。この調査によって、女性向けゲームが昨年の市場トレンドのひとつであったことがわかっています。

しかし、すべての女性向けゲームが成功したわけではありません。個々のタイトルで見てみると、セールスランキングの順位を維持するだけでもかなり苦労している様子がわかります。データを見ると、『アイドルマスター SideM LIVE ON ST@GE』(バンダイナムコエンターテインメント)、『うたの☆プリンスさまっ♪ Shining Live』(KLab)、『新テニスの王子様 RisingBeat』(アカツキ)といったタイトルによく表れているようです。

2018年にリリースされた上位タイトルの月別平均ランキング順位推移

とはいえ、これらのタイトルで運営や施策に大きな問題があるようには見えません。ゲームも十分な出来映えですし、施策においても『うたの☆プリンスさまっ♪ Shining Live』は事前登録の段階から登録者数が100万人を突破、『アイドルマスター SideM LIVE ON ST@GE』では昨年10~12月にTVアニメを放送するなど、SNSやメディアミックスをフル活用したマーケティングが展開されています。にもかかわらず、実際はセールスランキングの月間平均順位は高くても15位前後、時には50位を大きく下回る月もあるのです。順位から推測するに、売上規模はおそらく月商1~3億円程度ですから、決して不採算タイトルではありません。が、原作が元々持っていた圧倒的な熱量を考えると、何か物足りないような、伸び悩みを感じさせる結果ではないでしょうか。

ゲーム業界では、これまでずっと「ニーズに応じた運営と施策を続けていれば、きっとトップタイトルになれる」と信じられてきました。トップになれないのは改善が足りないか、激しすぎる市場競争のせいだったはずなのです。では、女性向けゲームにおけるこの動向を私たちはどのように受け止めればいいのでしょうか。もしかすると、私たちは何か重大な見誤りをしているのかもしれません。

女性のコントロール欲求に合致したゲームシステム

それにしても、最近の女性向けゲームはどれも面白そうで目移りしそうなほどです。どのタイトルも育成要素、リズムアクション、パズル、楽曲、ストーリー、圧巻の3D表現などなど様々な特長が付与されており、その多様さにはつくづく圧倒されてしまいますが、実は共通点もあることにお気づきでしょうか。女性向けゲームにおいて、ユーザーはプロデューサー、監督、マネージャー、果ては勇者など色々な立場が設定されていますが、キャラクターを「コントロールする」役割を必ずあてがわれているのです。

ユーザーが男性キャラクターを管理・育成するというゲームシステムがいつから始まったのかは定かではありませんが、むしろ気になるのは、このゲームシステムが何故これほど広く女性に受け入れられたのかという点です。

その理由のひとつとして、ユーザーのメサイア・コンプレックスをくすぐるからではないかと、私は考えています。メサイア・コンプレックスとは相手を助けずにはいられない共依存的な心理のことで、自分が満足するために困っている人や問題を抱えている人を求めてしまうというものです。特に、主人公(ユーザー)が男性キャラクターと恋愛関係にはならず、且つ、育成要素の強いゲームで顕著に見られ、多くの場合、男性キャラクターが自分の弱みを主人公(ユーザー)の前で吐露し、その克服のために主人公(ユーザー)があれこれと指示・支援する(ゲーム中で何らかのアチーブメントを獲得する)という形式になっています。

共依存に組み込まれた当人(ユーザー)は、このコンプレックスを男性キャラクターへの恋愛感情と錯覚しがちです。しかし、その根底にあるのは「私のケアだけを受け入れてほしい、私の思い通りに育ってほしい」という水槽の中の金魚を愛でるようなコントロール欲求であり、そのために男性キャラクターはいつも好意的にコントロールされ、みんな仲良くミッションをコンプリートして、常にユーザーの期待通りに振る舞います。決して、プレイヤーを騙したり、裏切ったり、蔑視したりすることはないのです。さらに、こういったゲームでは男性キャラクターがどれほど成長しようとも、卒業や退団(ロスト)はありません。彼らはユーザーから永遠に世話を焼き続けられるように求められているからです。

おそらく、女性向けゲーム、中でも『あんさんぶるスターズ!』や『A3!』といったアイドルゲームが、ほぼこの形式に適合するのではないでしょうか。女性向けゲームは男性キャラクターへの恋愛感情で駆動していると誤解されがちですが、そうではなく、女性のメサイア・コンプレックスで駆動し、偽装された恋愛感情で消費を促すというのが市場トレンドの実態なのです。

メサイア・コンプレックスに限らず、コンプレックスとは心の癖のようなもので、無意識にその人の志向を決定づけます。そして、自分でも理由はうまく説明できないけれど、何度もその行動を繰り返してしまう――すなわち、フェチ(神経症的固着)を引き起こします。フェチというと異常性欲とか病的な印象がありますが、フェチ的性癖は誰でも持っているものですし、巨乳も制服もBLもショタも、何であれフェチの一種に過ぎません。さらに言えば、女性向けゲームにおいてフェチとは、マーケターがよく言っている「ニーズ」と大体同じ意味です。「イケメンなのにピュア」とか「メガネでドSなお兄さん」というのは、そういうニーズがあるから生まれたキャラクターであり、まさにユーザーのフェティシズムが反映されています。

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フェチのサイロ化

ゲーム開発に限らず、ニーズに応じてプロダクトを改善することは基本中の基本だとされています。しかし、こと女性向けゲームに限ってはそうとも言い切れません。

女性向けゲームが本格的に制作されるようになったのは、コーエーのネオロマンスシリーズあたりが始まりです。1994年に第1作目の『アンジェリーク』が発売され、当時のファンはいちいちキャラクターに様付けをして呼んだりするほど夢中になっていました。その後、オトメイトなど様々なブランドからコンシューマーゲーム機向けに「乙女ゲーム」としてリリースされるようになります。そして、近年ではスマートフォンにも進出し、新たな熱狂を生み出しています。

しかし、女性向けゲームアプリも最初から大成功していたわけではありません。数年前は今ほどタイトルが出揃っていなかったため、ユーザーはとりあえず自分の趣味に近いゲームを選ぶしかありませんでした。まだまだ「こんなもんでしょ」というレベルだったのです。ところが、事業者側がユーザーのニーズをどんどん吸い上げるようになり、ニーズをがっちり掴んだプロダクトが人気を博すようになります。そうして何度もブラッシュアップされ、ユーザビリティとエンタテインメント性が格段に向上し、熱狂はますます高まっています。さて、問題はここからです。

一般的に、ゲームビジネスにおいてニーズは最大公約数的に取り扱われてきました。全てのニーズを実現することは不可能だから、要望する人が多いものから順に対応しよう、という考え方です。言い換えれば、寄せられる要望の中からユーザーの最大幸福を探ることがゲーム運営におけるミッションということになります。ところが、このやり方は女性向けゲーム市場では逆効果です。むしろ、ニーズを追いかければ追いかけるほど、ユーザーの最小幸福しか実現できなくなっていきます。

その原因は、やはり女性向けゲームがユーザー個々人のフェチに根ざしているという特徴にあります。女性向けゲームにおいてニーズはフェチだと言いましたが、もっと正確に言えば、メサイア・コンプレックスのコントロール欲求から生まれる「~じゃないとイヤ」という否定形の強いこだわりです。決して、「~がしたい」「~してほしい」という形式ではありません。これが厄介なのは、運営側がニーズに追随するほど、ユーザーがこだわりを更に強め、自分のフェティシズムに完全一致したものだけを採り入れようとしてしまうところです。

このことに私が気付いたのは、『アイドルマスター SideM』のファンである友人との会話がきっかけでした。同作のTVアニメ化が発表された当時、彼女は小躍りするほど喜んでいたのですが、結局「自分の好きなキャラクターがほとんど出演しない」という理由で一度も視聴しなかったのです。このエピソードからわかるのは、言葉だけ拾えば「アニメ化希望」という要望であっても、本当は「アニメ化希望(だけど、私の好きなキャラクターが活躍していないとイヤ)」という強い否定形のこだわり(=フェチ)が込められていて、そこから少しでもズレると全く興味が持てなくなってしまうというファン心理です。同じような理由で、ファンだけど見ない、ファンだけど参加しないというパターンは意外に多く見られるのではないでしょうか。さらに、フェチが多種多様であるように、この否定形のこだわりは無限に多様化し、同時に孤立を深めていきます。そうしてフェチのサイロがいくつも並び立って市場が断片化を起こし、やがては施策も効果が薄くなり、最終的にゲームの収益性を低下させてしまうのです。それを示すように、TVアニメ版『アイドルマスター SideM』のゲーム本体(『アイドルマスター SideM』および『アイドルマスター SideM LIVE ON ST@GE』)への寄与はあまり見られず、セールスランキングにもほとんど影響を与えていません。

アイドルマスター SideM セールスランキング推移(App Annie) ※青色部分はTVアニメ放送期間
アイドルマスター SideM LIVE ON ST@GE!ランキング推移(App Annie) ※青色部分はTVアニメ放送期間

『アイドルマスター SideM』のリリースは2014年、『うたの☆プリンスさまっ♪』がPSPで発売されたのは2010年、『テニスの王子様』の連載開始は1999年まで遡ります。どちらも絶大な人気を誇る作品だからこそ新作ゲームがスマートフォン向けにリリースされたわけですが、既に様々なメディアミックスが何度も展開されており、相当に断片化が進んだIPとも言えるでしょう。人気ぶりを示す数字(興行実績、販売数、観客動員数など)は確かに経済圏の大きさを表しているようですが、そこにはフェチのサイロが無数に建ち並んでいて、完璧なマーケティングを以てしても、やはりユーザーへの効果は最小化されてしまいました。これが私の感じた、過熱する女性向けゲーム市場の奇妙な“熱狂不足”の正体ではないかと思うのです。

では、フェチのサイロ化について業界各社はどのように対応しているのでしょうか。

まずは、特定のフェチを狙い撃ちするという対策があります。どの層にどういうフェチのサイロがあるのかを完全に把握して正確に撃ち抜くことができれば、断片化が進んでも収益性の低下を防げるだろうという考え方です。この戦略で最も成功しているのが『あんさんぶるスターズ!』なのですが、非常に精緻なディレクションを要すため、他社がこれを模倣するのはほぼ不可能でしょう。だからこそ、『あんさんぶるスターズ!』が不動のトップタイトルであり続けられるのです。同じ構図の成功例としては『刀剣乱舞-ONLINE-』があります。配信元はDMM GAMESですが、ディレクションは多数のヒット作を生み出してきたニトロプラスが担当しており、同社のニーズ(フェチ)に対する高い考察力が窺い知れます。

量産体制を敷くことで乗り越えようとする企業もあります。『イケメンシリーズ』のサイバード、『恋愛ドラマアプリ』などのボルテージ、『夢王国と眠れる100人の王子様』のジークレストなどは、タイトルやキャラクターを量産することでフェチを浅く広くカバーしようという戦略です。このやり方はなかなか効果的で、各タイトル(またはキャラクター)を並列的に扱うことによって、「~でもいい」というスタンスを成立させ、フェチのサイロ化を抑えることに成功しています。反面、エンゲージメントは育ちにくいため、常に新鮮なラインナップを揃え、新規ユーザーを獲得し続けなくてはありません。

サイバード『イケメン』シリーズ 公式サイト

そして、最も多くのタイトルで採用されている戦略が多角化(IP化)です。(自社)コンテンツをメディアミックス展開し、あらゆる経路から新規ユーザーを取り込もうとします。しかし、このやり方では先ほど説明したとおり、断片化を加速させてしまいます。そこで、莫大な予算をつぎ込んで、断片化が進んでもある程度の収益が見込めるほどに全体の規模(つまり、ファンの数)を大きくするという力押しをするわけです。いかにもゲーム業界らしい豪快なお金の使い方ですが、とはいえ、コストは無視できない規模になります。また、施策の効果を予測することが難しく、結局は伸るか反るかのギャンブルになりがちです。これでは収益が安定しませんから、実質的には財務的に余裕のある大手企業しか実行できない戦略でもあります。

こうしてみると、結局どれも一長一短で根本的な解決には至っていません。はたしてフェチのサイロ化を回避することは可能なのでしょうか。この疑問は、女性向けゲームにおいてニーズ(フェチ)に因らないアプローチは成立するか、とも言い換えられます。

※ここから先は、SEECのゲームアプリ『誰ソ彼ホテル』の結末に関わる内容が含まれています。プレイ済みの方のみご覧下さい。

過剰な“贈与”と理不尽な“剥奪”

この問いのヒントになったのは、意外なことにアイドルグループのももいろクローバーZです。1月15日放送のAbemaTV「AbemaPrime」では、社会学者の宮台真司氏(首都大学東京教授)が、ももクロの魅力を「圧倒的な“贈与”だ」と語っていました。その主旨は、予想を超えるアクロバティックなパフォーマンスこそがファンへの圧倒的な“贈与”であり、それを実現しようとする一生懸命な姿勢が彼女たちを聖なる存在(アイドル)たらしめている、というものです。ここで注目すべきなのは「ファンの予想を越えている」という点です。ももクロはファンのニーズに追従などせず、そんなものはとうに追い越しているからこそ、モノノフ(ももクロのファン)に圧倒的な感動を与えることができるのでしょう。

宮台氏は様々な評論で“贈与”と“剥奪”という概念を用いています。何やら経済学の用語のようですが、物品や資産の取引(等価交換)ではなく、むしろ、バランスを欠くほど過剰に与えること、また、相手の都合も考えないまま滅茶苦茶に奪うことを意味します。そして、時折ですが、法律や常識、倫理、損得といった社会のお約束をひらりと乗り越えて、天災のように過剰な“贈与”と理不尽な“剥奪”をもたらしてしまう人がいるのです。宮台氏はその存在をメタファー(暗喩)として“ヴァンパイア”と呼んでいます。

女性向けゲームでは吸血鬼をモチーフとしたキャラクターが少なくありません。血を吸ったり、日光に弱かったり、老化しない肉体だったりと、それらしいアイコンを身につけています。が、それは単なるファッションに過ぎず、結局は皆一様にユーザーの期待通りに振る舞い、「頑張れば報われる」「愛せば愛してもらえる」という等価交換の世界で、その社会に(ゲームの世界に)望まれた存在として律儀に祝福されていたりするのです。そもそも伝承や古い映画に出てくる“ヴァンパイア”とは、人間の女性を唆し、自分が生きるために吸血(=理不尽な“剥奪”)を行い、相手を人ならざるモノにしてしまう(=過剰な“贈与”)ような人知の及ばぬ存在だったはずではないでしょうか。そう考えると、最近の吸血鬼キャラはちっとも“ヴァンパイア”的でないのです。

コントロール不能の“ヴァンパイア”

では、真に“ヴァンパイア”的なキャラクターとはどのようなものなのか。その手がかりとなるゲームをご紹介したいと思います。SEECの脱出アドベンチャーノベル『誰ソ彼ホテル』(iOS / Android)です。

『誰ソ彼ホテル』は、生と死の狭間にある洋館風のホテル「黄昏ホテル」を舞台とした長編アドベンチャーゲームです。主人公・塚原音子(つかはら ねこ)は、どういうわけか黄昏ホテルに行き着いてしまい、そのまま従業員として働くこととなります。宿泊客は皆、生きているかもしれないし、既に亡くなっているかもしれない人たちの魂です。彼らの多くはこれまでの経緯はおろか、自分の名前も思い出せないまま、不思議とホテルに流れ着いてきます。そこで音子は客室係として部屋に残されている宿泊客の記憶の痕跡を集め、なぜ彼らが黄昏ホテルに来ることとなったのか、その真実を突きとめていきます。

さて、本稿で注目したいのは、宿泊客の一人として登場する大外聖生(おおそと まさき)です。彼は紳士然とした見た目とは裏腹に、実に刺激的で“ヴァンパイア”的なキャラクターなのです。

最初に彼は「探偵」と名乗るのですが、これが全くの嘘で、実は連続婦女暴行犯であり、さらに面識のない男性をストーキングの末に殺害、黄昏ホテルに来てからも「彼を生きたまま食べたい」という異様な妄想に取り憑かれたままで、大外の凶行を止めようとする音子を歯が折れるほど殴打するなど、自己中心的で相手構わず暴虐の限りを尽くします。そのくせ、表の顔はエリート医大生として過ごしており、「友人には困ってない」と言うほど社交的で、恋人は「ミス日本、モデル、女子アナ、気象予報士、医大生」の5人もいるという、リア充のカタマリのような生活を送っているのです。音子を理不尽になじり、「ダルマを作りたい(手足を切り落とす)」と脅して、怯える姿に狂喜する様は確かに異様で不快なのですが、どういうわけか大外はユーザー(特に女性)に大変人気があるのも事実です。では何故、芸能人でもなく、どこかの国の王子様でもなく、利己的な犯罪者である彼なのでしょうか。

ヴァンパイアがもたらす最大の贈与とは

大外聖生がこれまでのキャラクターと決定的に異なるのは、ユーザーのコントロール欲求(メサイア・コンプレクス)に全く応じないところです。彼は社会に完全に最適化されているようで、本当は「慈しめば愛される」「頑張れば報われる」などという取引が成り立たないことを知っています。そして、内には圧倒的で自己中心的な“剥奪”の欲望を秘めており、それを何とか飼い慣らしながら社会の縁(ふち)ギリギリのところを嬉々として綱渡りしている――それが大外聖生の本質であり、丁度、人間に“なりすまして”華やかな夜会に紛れ込む“ヴァンパイア”と重なります。

しかし、どれほど上手く人間のフリをしていても吸血鬼が血を吸わなければ生きていけないように、大外聖生は“剥奪”を無くして生きることができません。そのために、社会を真っ当に生きる誰かをいつも誘惑し、籠絡して吸血(=“剥奪”)のチャンスを得ようとします。それが以下のシーンです。

大外「僕が思うに、君(※音子のこと)は簡単にこちら側に来られる人間だよ。(中略)やるかやらないかの選択を迫られた時、君はやる側の人間だと思う。これは僕の願望でもあるんだ。君には、ただ受け入れるだけしか能のない女にはなって欲しくない。」

音子「何を言ってるんですか、大外さん」

大外「僕を失望させてくれるなよって事さ」


この時点ではまだ音子は大外の意図を図りかねていますが、その後の重要な選択を迫られるシーンでプレイヤー(=音子)は何度もこのやり取りを思い出すことになります。そして、遂に音子は大外の手に堕ち、率先して身を差し出して共犯関係を結んでしまうのです。こうして見ると、『誰ソ彼ホテル』は、“ヴァンパイア”の大外聖生に偶然選ばれてしまった塚原音子が自ら破滅していく物語とも読むことができるでしょう。

一見、二人の関係は不可解です。現世に戻った音子がさっさと警察に通報してしまえば大外は終わりなのですから。にもかかわらず、音子がそうしないのは何故か。その理由は“剥奪”と表裏一体の関係にある“贈与”に目を向けると見えてきます。

大外は音子に対して精神的・肉体的に“剥奪”を繰り返すのですが、同時に、暴力の享楽を見せつけているとも言えます。それは、一般人として生きていれば絶対に味わうことのできない、“ヴァンパイア”だけに許された法外なエンターテインメントです。実はこれこそが大外の言う「こちら側」の世界であり、音子は被害者という立場からではありますが、本来目にしてはならない世界を何度も目撃してしまいました。つまり、大外は暴力による理不尽な“剥奪”と共に、「こちら側」の享楽に引きずり込むという過剰な“贈与”を音子にもたらしている、という構図が成立していたのです。こうして音子は自然に(共依存に陥ること無く)、暴力の享楽を共有する関係、つまり共犯を望むようになります。

大外聖生と塚原音子の関係は、他者には理解できない同一の妄想を共有しているという点において、(作中では明言されていませんが)互いに相手の心を映し合う恋愛関係に酷似してはいないでしょうか。ここでいう恋愛(感情)とは、メサイア・コンプレックスに基づくコントロール欲求を偽装したものではなく、性愛(エロス)に基づいた感情です。“ヴァンパイア”がもたらす最大の“贈与”とは、この性愛に基づく恋愛感情なのです。だからこそ、大外聖生はメサイア・コンプレックスに応じず、フェチ要素も持たないのに女性の心を強く惹きつけるのであり、彼が紛れもなく本物の“ヴァンパイア”であることの証でもあります。

恋愛困難な時代にゲームで性愛を取り戻せるか

総務省の「平成27年版 少子化社会対策白書」によると、未婚者かつ現在恋人がいない人を対象とした意識調査で「恋人が欲しいですか」と質問に対し、「恋人が欲しくない」と回答した人の割合が20代未婚女性で最も高いという結果が掲載されています。20代の未婚女性といえば最も恋愛意欲の高そうな年齢なのに、ちょっと意外な結果です。

回答結果 恋人が欲しいですか(未婚者かつ現在恋人がいない人)〈単一回答〉

20代は仕事に勉強に人生で最も忙しい時期ですから、恋愛なんてしていられないのかもしれません。もちろん、どんな理由にせよ一概に言えるものはないのですが、私としてはその根底に「性愛へのタブー視」があるようにも思えるのです。

たとえば、羽海野チカの『3月のライオン』では、中学生の川本ひなたがクラスでいじめに遭うようになり、それを見かねた同級生の男子生徒がひなたをキャッチボールに誘うというシーンがあるのですが、このことがかえっていじめを激化させ、「ビッチ」とか「ヤリマン」などと誹謗中傷を受けることとなります。私はこのエピソードをTVアニメで見ていたのですが、ジェネレーションギャップを感じずにはいられませんでした。というのも、異性との接触を蔑視するという文化は、私(1984年生まれの33歳)が中高生だった頃にはほとんどなかったからです。少なくとも、異性にモテるとか性的な体験が豊富であることが必ずしもカーストの転落には繋がらない時代でした。ところが、オトナの厳正な管理下で育った今の若い世代にとって、性愛は排斥されるべきものであり、語ったり、ましてや自由に体験するなど以ての外なのです。ここまで強いタブー視がそう簡単に解けるとも思えません。そういうわけで、「恋人が欲しくない」という言葉には色々と社会的背景があるのでは、などとついつい勘ぐってしまいたくもなるのです。

さて、ここで興味深いのは、性愛を描いた『誰ソ彼ホテル』が、Twitterなどで見る限り、若い女性ユーザーの間で好評を博しているという事実です。察するに、若い世代は性愛をタブー視しながらも、完全にあきらめてしまったわけではないのでしょう。ただ、知りたいけれど生々しい内容は気が引ける……。そこで、ゲームという形式が効いてきます。リアルな体験ははばかられますが、ゲームを通じた恋愛体験なら語りやすく、共有しやすい。制作者が知ってか知らずか、『誰ソ彼ホテル』はこの恋愛困難な時代において、性愛を囲う分厚い壁に風穴を開けてくれたのです。その意味で、『誰ソ彼ホテル』は名作ゲームと言っても全く過言ではないでしょう。

2018年も女性向けゲームが数多くリリースされ、市場もますます拡大すると見られます。しかし、もうフェチに頼っていては売れないのです。ニーズを追い回している場合ではありません。ユーザーと幸せな関係を築いていけるのは、ユーザーに圧倒的な“贈与”ができるタイトルだけです。もちろん、有償アイテムを配れとか、そういうことを言っているのではありません。女性向けゲームは性愛(エロス)をもたらすことができるか。このテーマに挑戦するタイトルを、そして過剰な“贈与”と理不尽な“剥奪”を生きる“ヴァンパイア”の出現を密かに期待しているのは、きっと私だけではないはずです。

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