雑誌でゲームの歴史を紐解く

日本においてゲームというものは、1978年に『スペースインベーダー』が登場して社会現象を巻き起こし、80年代にはPC用タイトルが続々と台頭。80年代半ばからはファミコンブームに突入し家庭用ゲーム機が市場の中心に……と、これまで流行り廃りを繰り返しながらその歴史を歩んできました。
そして20世紀において、その歩みの傍らにはゲーム雑誌の存在がずっとありました。インターネットの普及につれて人気を失いましたが、これまでのゲーム文化の形成に大きく影響を与えたことは言うまでもありません。
本書は、ゲームの発展や社会の変動と共に移り変わってきたゲーム雑誌の中から55誌(+α)を取り上げ、ディープな語り口によってその特徴や人気を博した連載などを解説しています。
当時存在した数に対して、55誌というのは決して網羅的な数ではありませんが、その当時のゲーム雑誌がどのような状況に置かれ、またどのような戦略で競合としのぎを削ったのかがわかる内容です。各時代で象徴的なゲーム雑誌がそれぞれ2~4Pで見開き画像も交えて細かく記述されるため、読んだことのない雑誌でも空気感がイメージしやすい作りと言えます。
著者は小説、漫画、アニメ、音楽、映画、ゲームなどの幅広いカルチャーを扱う評論家のさやわか氏で、『僕たちのゲーム史』(星海社新書)などの著書でも知られます。本書は「ゲームラボ」誌上で約5年間掲載された同氏の連載「ゲーム雑誌クロニクル」に、大幅な加筆修正を行って書籍化したものですから、取り上げた各誌の情報はとても濃いものとなっています。
20世紀のゲーム雑誌を俯瞰できる
筆者である私にとって雑誌とは、現在の職業に就くうえでの原体験でした。しかしそれは『大乱闘スマッシュブラザーズX』の情報を追い求めて見つけた「ファミ通DS+Wii」であり、『ディシディア ファイナルファンタジー』の表紙に惹かれた「電撃PlayStation」であり……と、21世紀に入ってからのもので、最初期のことを知りません。世代的な壁によって、20世紀の黄金期は伝聞でしか知る由のないことです。
そして、二回りほど年齢が上の編集者に当時のことを尋ねるとき、それは思い出話として消化されてしまうことも少なくありません。
そんな私にとっては、各雑誌の戦略や誌面が俯瞰して眺められる本書が当時の雰囲気を推し量るうえでの貴重な資料となりました。例えばゲーム性がシンプルだったからこその裏技文化がゲームの複雑化によって廃れていく過程は、ゲーム雑誌からの視点を得ることでより鮮明に浮かび上がります。
ほかにも、読者投稿コーナーでコミュニティが形成されていったことや、公式から情報を得る中で書き手の主観に基づく記事が失われていったことなど、現在に続くゲームメディアならではの変遷を辿ることができます。もちろん、角川のお家騒動にも触れています。
これらのことは当時を経験した人にとっては当たり前の知識かもしれませんが、後追いの人にとってはそれぞれのバックナンバーを集めるのも容易ではありませんし、時代背景も掴みづらいところがあります。そこで20世紀のゲーム雑誌をまとめ、細かい分析が載っている本書があることは、イチからゲームの歴史を学ぶ際の助けとなりますし、観点としてはとても面白いアプローチとなります。
ゲーム雑誌の黄金期を知らない人にこそ
1997年を境目に、雑誌全体が徐々にマイナス成長へと向かっています。本書のラストは2000年以降のゲーム雑誌が休刊していく様にも触れています。残念ながら、本書の発売から現在まででも「電撃PlayStation」などのゲーム雑誌が定期刊行を終了してしまっています。
紙のゲーム雑誌が無くなっていくのは止められない流れであり、とても悲しくもありますが、さやわか氏は本書の中でそんなゲーム雑誌に対して「役割を終えた」という表現を使っています。そして、時代は変わってもゲーム雑誌の精神は今でも多くの者の中で息づいていると語っています。
雑誌の衰退は運命だとしても、それまでにゲーム雑誌が残してくれた影響は大きく、ゲーム文化の発展に大きく貢献しました。そういった意味で、役割を全うしたという考えには大きく頷けるところがあります。
以上のようにゲーム雑誌が編んだものを紐解いたとき、ゲームの歴史に加えて、雑誌というメディアの隆盛と衰退をうかがい知ることができます。ひとつのメディアが役割を終えるまでの軌跡を辿るという意味合いでも、本書は貴重な文献となりえます。
本書をカタログ的かつ懐古的に楽しもうという人にもある程度刺さる内容なのではないかと思いますが、かつての(ゲーム雑誌)黄金期を知る由もなく、雑誌に触れてこなかった若い世代にこそぜひ手に取ってほしい一冊です。ゲーム雑誌の歴史を通して、20世紀のゲーム全体の歩みを振り返ることができるでしょう。