7月2日が記念日のゲームがあります。株式会社ディー・エヌ・エー(以下、DeNA)のスマートフォン向けオリジナルRPG『メギド72』。Twitterでは多くのファンアートが毎日投稿されており、ファンの熱量は高い。しかし、リリース直後の『メギド72』はプレイヤーの厳しい批判に晒され、セールスも伸び悩んでいました。
それをV字回復させたのが、同作のプロデューサー・宮前公彦さん。一介のデザイナーが名プロデューサーになるまでの軌跡を辿ります。
宮前公彦
株式会社ディー・エヌ・エー Japanリージョンゲーム事業本部 デザイン部 副部長 兼 プロデューサー。1999年、株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス)に入社。3D背景のデザイナーとして『ファイナルファンタジー』シリーズや『ラストレムナント』など大型タイトルを担当。09年、株式会社エイチームに転職。マネージャーとして、ソーシャルゲーム開発・運営に携わる。14年、DeNAに入社。プロデューサーとして『メギド72』を担当するほか、17年よりデザイン部の組織ビルディング全般、19年より自社タイトルのプロデューサー部門の副部長を務める。
実力でゲーム業界に飛び込む
ゲーム開発に携わるデザイナーの中でも、花形というか、やっぱり一番目立つ仕事はキャラクターデザイナーだと思います。憧れの仕事だという方もいるでしょう。ですが、画面に映るのはキャラクターだけではありませんよね。そのキャラクターがどんな世界を生きているのか。それを表現する背景も必要不可欠です。僕の元々の仕事は、その背景を描く「背景デザイナー」でした。
子供の頃から絵を描くのが大好きで。それで美術系の学校に進学しました。
学生時代は映画の仕事がいいかな、なんて思っていたんですよ。父が大の洋画好きで、僕も「スター・ウォーズ」「インディ・ジョーンズ」「エイリアン」といったハリウッドの名作を夢中になって観ていましたから。大がかりなセット、特撮、特殊メイク、どれも映像技術と造形美の結晶で、いつかそういうものを作ってみたいと憧れていました。
それともうひとつ、映像美を追求するという点で興味を持ったのがゲーム業界です。中学生の頃からゲームセンターにはちょくちょく通っていましたから、ゲームも、僕にとって、馴染み深いエンタテインメントのひとつでした。
実を言うと、学生の頃は『アーマード・コア』シリーズ(※)のような本格ロボットSFのゲームに携わってみたいと思っていたんですよ。ただ、卒業してすぐに就職という気持ちにはなれなくて。将来の目標がまだあやふやだったし、就職への危機感がちょっと薄かったのかな(笑)。就職超氷河期と呼ばれた時代でしたから、就職先が決まっていなくても仕方がない、という雰囲気もあったのかもしれません。
※アーマード・コア シリーズ……1997年にフロム・ソフトウェアから発売された3D戦闘メカアクションゲーム。プレイヤーは、頭、コア、腕、脚、武器など、多数のパーツを自在に組み合わせて、自分だけのオリジナルメカで戦う。
PlayStation®やセガサターンといった次世代機が登場して以来、CGを多用した圧倒的な表現がゲームに組み込まれるようになりました。今でも、ゲーム中のカットシーンのことを「ムービー」と言ったりしますが、まさに映画的な演出がゲームに用いられるようになった時期だったんですね。その流れを受けて、僕もデジタルで絵を描くようになりました。ゲーム業界で働きたいと思い始めたのも、その頃だったかな。CGも独学で随分練習を重ねました。
ただ、CGを始めると言っても、先立つものはまずお金。昔は機材もソフトも今よりずっと高額でした。最初はアルバイトで少しずつ貯金して、それでも足りない分は両親が出してくれて……。実家も決して裕福というわけではありませんでしたから、早くスキルを磨いて働き口を見つけなければ、という気持ちはいつもありましたね。とにかくたくさん描いて、ゲーム会社にポートフォリオ(作品集)を送る日々が続きました。
当時のゲーム業界は「通年募集」を掲げている会社が多かったと思います。通年募集は、新卒採用とは違い、年齢不問・経歴不問、十分なスキルとポテンシャルがあれば、いつでも即採用という制度です。ただ、これが相当の難関でした。フィードバックを受けてはポートフォリオを何度もブラッシュアップして、そうやっている内に初めて連絡をくれたのがスクウェアでした。
デザイナーの“産みの苦しみ”
研修期間を経て、僕は『ファイナルファンタジー』シリーズの開発チームに背景3Dデザイナーとして参加することになりました。シリーズで主に関わったのは『ファイナルファンタジーⅨ』『ファイナルファンタジーX』『ファイナルファンタジーXI』です。
背景デザインが、他のデザイナーの仕事と大きく異なる点は、プランナーとのやり取りが多いことです。プランナーが配置したい仕掛けや、次のシーンへの展開を理解した上で背景を作り込んでいく必要があります。たとえば、プレイヤーに注目してもらいたいギミックがあれば、自然にその場所へと視線が向くように背景をデザインしますし、遠景で次の目的地を見せて物語の先へと誘うという手法もよく用いられますね。
プランナーの都合で急にリテイク(作り直し)になることもあります。そういう時はちょっとネガティブな気持ちになったりもしますけど(笑)、なぜ変更が必要になったのか、本当に実現したい面白さとは何か、という根本にある課題をプランナー側と共有しておくことが大切だと思います。やっぱり、どんな仕様変更にも必ず理由がありますからね。そこが大事です。
グラフィックの技術において、『ファイナルファンタジーⅨ』と『ファイナルファンタジーX』は1つのターニングポイントでした。前者はPlayStation®、後者はPlayStation®2でリリースされ、ちょうど技術革新の過渡期にあったからです。処理性能は32bitから128bitにまで向上し、フル3D化によって、開発現場は体制からツールまでがらりと変わってしまいました。
テクノロジーのパラダイムシフトを目の当たりにして、これからのゲーム開発に大きな可能性を感じました。同時に、最新の技術にキャッチアップしていかなくては、という危機感を覚えたのも事実です。
それから、僕は『アンリミテッド:サガ』『ロマンシング サガ -ミンストレルソング-』の開発に携わりました。実は、直良さん(※)にお声がけいただいて『サガ』シリーズの開発チームに参加することになったんですよ。
※直良有祐 氏……アートディレクター、イラストレーター。『メギド72』でメインビジュアルを担当している。
『サガ』シリーズでは、初めてセクションリーダーを務めることになりました。『ファイナルファンタジー』シリーズとはまた趣の異なる絵作りを探究しつつ、メンバーの育成や制作管理といったマネジメントの仕事も加わって、本当に挑戦の連続でした。大変だったけど、貴重な経験を積むことができたと思います。ただ、技術への理解を深めるほど、表現のアプローチも際限なく広がってしまい、この頃から“産みの苦しみ”とも向きあっていかねばなりませんでした。
しかし、現場の状況とは裏腹に、テクノロジーの進化はどんどん加速していきました。2005年にXbox360が、その翌年にはPlayStation®3が発売され、いよいよCGは実写に並び立つようになりました。
ゲーム機の性能が高くなるということは、これまで以上のグラフィックとボリュームが求められるということでもあります。さらに拍車を掛けたのが、薄型テレビの普及です。画面サイズが大きくなれば、その分だけ広い背景を作らなくてはならず、開発期間はますます長期化していきました。そして、莫大なコストを投入して開発されたタイトルは、否が応でも売上を期待されてしまう。
――そういう苦労に直面したのが『ラストレムナント』(スクウェア・エニックス, Xbox360 / PC, 2008年)でした。あの時は僕も、周りのメンバーも、ほとんど押し潰されそうになっていて……正直に言えば、自分の限界を感じた瞬間が何度もありました。
※ラストレムナント……スクウェア・エニックスのオリジナルRPG。種族の異なるキャラクターが織りなす厚みのあるストーリーと、最大5隊の「ユニオン」を指揮する軍勢バトルが特長。初出から10年後の2018年にPlayStation®4でリマスター版がリリースされ、2019年6月にはSwitchでも配信を開始した。
モバイルゲームの可能性を求めて
家庭用ゲーム機でスペクタクルなタイトルに注目が集まる一方で、モバイル向けのゲームが徐々に広がりを見せていました。僕も通勤中にPSP®(PlayStation Portable)でよく遊んでいたし、カジュアルなゲームなら携帯電話でも十分プレイできるようになっていた頃です。と言っても、スマートフォンなんてまだ無くて、1タイトル100円で買い切り制や月額300円でゲームが遊び放題みたいな時代でした。
ただ、ゲームを外でも遊ぶことには日常化してました。家のテレビで楽しむものだったゲームが、屋外でいつでも手軽に遊べて、しかも、専用機ではなく、誰もが持っている携帯電話でプレイできるようになり始めていました。
まだフィーチャーフォンが主流の時代でしたが、そのころから次のメインストリームはモバイルになるだろうと考え始めていました。携帯電話も必ず技術的な進化があって、ビジュアルやゲーム性は高まっていくはず。また、手のサイズは進化しないので、画面の大きさはそう変わらない。この手のひらサイズの画面の中でどう見せ方や遊びを考えていくのがいいのではと思い始めました。
そうなれば、技術も体制も再びパラダイムシフトが起こるはずで、その流れにいち早く飛び込むため、モバイルゲームに注力している会社に行こうと考えました。それが、名古屋のIT企業・エイチームです。
今もそうですが、エイチームは非常に先進的で、日本で初めて携帯電話向けのMMORPG『エターナルゾーン』(※)を開発した会社でもあります。面接で林社長(林 高生氏 エイチーム創業者・現 代表取締役社長)とお会いし、会社の方針や社長自身の人柄にも惹かれまして、エイチームもちょうどゲームに力を入れていくタイミングで、グラフィックの実務経験者が少ないということでした。私自身も経験を活かせると思っての転職です。
※エターナルゾーン……2006年に国内初の携帯電話向けMMORPGとしてサービスを開始。最大3人制のパーティを組み巨大なモンスターと対戦したり、定型文チャットでコミュニケーションを楽しみながら、広大なエバンの地を冒険していく。
当時の事業部長にリードしてもらいながら、グラフィックの仕事もこなしつつ、来月のキャンペーンを企画したり、プレイヤーからの問い合わせに回答したり、かなり幅広い領域で経験を積ませてもらいました。それが現在のプロデューサーとしての下地になっています。仕事に対する視点も変わりました。
チームのリソースをどう配分すべきか、ゲームを成長させるにはどんな体制で協力していくべきか。そんな風にプロジェクト全体を見るようになりましたね。その分、デザイナーらしくグラフィックを作り上げるという機会はちょっと減ってしまったかな。でも、エイチームでの経験が僕のキャリアを大きく広げてくれたように思います。
ただ、一つ悩んでいたことがあって。僕は、ずっと単身赴任で名古屋で働いていました。名古屋も暮らしやすい所だし、エイチームもすごく良い会社だし。何より上場もして成長してきました。自分もその中で大きく成長できました。ただ、家族にもその時の生活があり、どうするか決めかねていました。
悩みに悩んだ末、僕はエイチームを退職して、東京へと戻ることにしました。そして、2014年12月、僕は、DeNAに入社しました。
全くの新しいゲーム体験を目指す
DeNAに入社してすぐ、『メギド72』の開発プロジェクトに参加しました。既にゲームの大枠は決まっていて、当初のプランニングでは、シバの女王に命ぜられ、ソロモンが悪魔を召喚しながら世界のあちこちへモンスターをやっつけに行くというゲーム設定でした。バトルも、現在の「ドラフトフォトンシステム」よりずっとシンプルなシステムでしたね。メギド(キャラクター)はすべて2Dで、今のようなダイナミックな3D表現はまだありませんでした。
「簡単にバトルが進んでいく、可愛らしい雰囲気のおつかいRPG」という印象で現在の仕様よりもカジュアルなつくりになっていました。
もちろん、誰かが手を抜いていたとか、そういうわけではありません。当時のモバイルゲームのプレイヤー層を意識して、ライトに仕上げようとしていたのだと思います。
ですが、それでは失敗を恐れるあまりに、かえって大失敗を招くことになります。「準備の失敗は、失敗の準備」です。だから、僕はまだ新参のプロデューサーだったけれど、あえて遠慮はしませんでした。ある程度現状を意識しつつも、シナリオもバトルシステムも見直そうと、責任を持つ立場として決めました。
当時のメンバーにとっては、盛大なちゃぶ台返しに見えたでしょうね。作り直しなんて誰だってがっかりするし、何より皆を不安にさせたと思います。その気持ちはわかりますよ、もう痛いほどに。僕もそうやって苦労してきた身ですから。しかし、アプリのゲームと言えど、ユーザーの求めるレベルは年々上がってきています。果たして、そこそこの面白さだけで長く愛されるようなタイトルになれるのでしょうか。
スマートフォン向けゲームも、最近は開発コストが高騰し、費用は数億円、期間は数年に及ぶこともあります。それなら、そこそこの面白さなんかより、やっぱり、「全く新しいゲーム体験」だと胸を張れるゲームを目指すべきだと思うんです。
シナリオも、主人公・ソロモンがシバの女王の使いっ走りみたいに扱われるのではなく、“ソロモン王”として成長していく様を冒険活劇として見せたかった。人々に安息を与えるために、ソロモンは72柱のメギドを率いて戦うんだ、彼はそういう存在なんだ、という話をメンバーに何度もしました。
そういうことがあって、『メギド72』の開発はかなり難航しました。まぁ、半分くらいは僕のせいかもしれませんが……。開発元のメディア・ビジョンさんも辛抱強くお付き合い下さって、検討を重ねた結果、やっと現在のバトルシステムである「ドラフトフォトンシステム」に辿り着きました。
バトル中の行動を決める「フォトン」を仲間にただ分配するのではなく、敵と取り合うという形式にしたことで戦略の幅が一気に広がりましたね。メディア・ビジョンさんは『ワイルドアームズ』シリーズなどの独特なバトルシステムを手掛けてきたディベロッパーですが、そのあたりのご経験やノウハウには私たちもかなり助けられたところがあります。
今だからお話しできますが、今回の開発はちゃちゃっと済ませて、次のプロジェクトで頑張ればいいや、なんて思ってしまったこともあったんですよ。でも、「自分が面白いと自信を持てるようになるまで作り込むべきだ」と、当時の上司が言ってくれて、そのお陰で、『メギド72』というゲームと真正面から向き合うことができました。すごく心強かったですね。
ピンチに見出した「勝算」
2017年12月7日、『メギド72』は満を持してリリースされました。ゲームの肝となる「ドラフトフォトンシステム」は色々と専門用語も多いので、プレイヤーが仕組みを把握するまで少し時間が掛かるだろうと予想していました。ですから、初動が少しくらい鈍くても、それほど気にしていなかったんですよ。ちゃんと作ったんだから、わかってもらえるでしょうと。今思えば、そうやって高をくくっていたところがあったのかもしれません。そこは大きな反省点でした。
ゲーム業界が1年で最も盛り上がる年末が過ぎ、正月に入ってもランキングの順位は伸び悩みました。それどころか、「バトルシステムがわかりづらい」「難しすぎてバトルが面白くない」といった声をいただくようになり、継続率もどんどん下がっていきました。
やがて、開発チームはヒリヒリとした緊張感に包まれ、僕も焦りに駆られるようになっていきました。メギド(キャラクター)を追加して、かえってプレイヤーの皆さんを混乱させてしまったこともあります。2月、3月には大きな不具合が立て続けに発生し、そこでも多くのプレイヤーを失いました。対応はことごとく後手に回り、何をやっても上手くいかない。
そんな状況の最中、僕は社長(守安功 氏・DeNA代表取締役社長兼CEO)から呼び出しを受けました。『メギド72』の運営が行き詰まっていることは、もちろん社長も知っていました。状況が状況でしたからね。厳しい言葉をかけられるだろう、と内心は覚悟していました。
が、社長からは、「『メギド72』はめちゃくちゃ面白いゲームだから、とにかく今は頑張れ」と言ってもらえて。それがすごく嬉しかったし、励みになりました。それから、「最初はイマイチかなって思ったけど、とりあえず数時間プレイしたら、やっと面白さがわかってきた」と、率直な感想をいただきました。
このような声は社長だけでなく、当時は多く方から頂きました。ゲームバランスや仕組み自が悪いというわけではなく、本当の面白さをわかってもらう前に離脱されてしまっている点。だからその点をもう少し改良しようと思いました。振り返るとこれが、我々とっての「勝算がある」でしたね!
改善のポイントは、「より分かりやすく、しかし、決して答えを教えてはならない」ということ。
まず手始めに、初心者がつまづきやすいところを重点的に改善しました。特にチュートリアルは大幅に改修を施しています。元々ルールの説明に終始していたところを、一手ずつ操作してもらいながらバトルを進めるようにして、最後はキャラクターの奥義で敵を一掃して勝利する、という流れをつくりました。こうすることで、「ドラフトフォトンシステム」の面白さをしっかり体験できるようになったと思います。
公式ポータルサイトでもストーリー序盤の攻略情報が詳しく解説されています。けれど、必勝法は公式サイトのどこにも掲載されていないんですよ。各キャラクターの特長やスキルの効果は詳しく書いてありますが、誰と誰を編成に組み込むべきか、どんなボスに有効か、というような“解法”は、プレイヤー自身で導き出してほしいからです。
様々な試行錯誤を経てこそ、ステージクリアの喜びと達成感があるのだと思います。だから、運営の都合で安易に難易度を下げてはいけない。難しいものを、難しいままに楽しんでもらうための工夫を重ねよう。それが僕の「勝算」でした。
そして、改善の効果は徐々に現われ、寄せられていた批判と落胆は、いつの間にか応援と信頼へと変わっていきました。特別なプロモーションをせずともランキングの順位はどんどん上がり、お陰様で無事に運営1周年を迎えることができました。
また、先日(2019年6月2日)の公式リアルイベント「メギド72 garden〜ソロモン王たちの休日~」では沢山の方にお越しいただき、大変な盛況となりました。当日はかなり突飛な企画もあったかと思いますが(笑)、皆さんに楽しんでいただけたようで何よりです。僕にとって、『メギド72』は本当にプロデューサー冥利に尽きるタイトルだと思います。
みんなの未来を預かる仕事
デザイナー、ディレクター、そして、プロデューサーを経験して、わかったことがあります。それは、プロデューサーという職種だけ、全くセオリーが無いということです。
基本的に、デザイナーは絵を描くことが仕事ですし、プログラマーならプログラムを書くことが仕事になります。専門性が高く、仕事の範囲も明確で、将来のキャリアもある程度想像がつくでしょう。
一方、プロデューサーは、プロジェクトの全責任を負うポジションでありながら、責任をどう果たすかは全て本人次第なんですね。たとえば、開発部門出身のプロデューサーとマーケティング部門出身のプロデューサーでは、重視するKPIも、意思決定のプロセスも、かなり異なります。しかし、どちらのやり方が優れているかは比べられません。プロデューサー業には基準もセオリーも存在しないからです。
言い換えれば、プロデューサーとは、自身の経験や価値観が最も問われる職種だ、ということでもあります。
『メギド72』で僕が一番大切にしているのは、「みんなの未来を預かっている」という意識です。「みんな」とは色々な意味があるのですが、ひとつは「会社」ですね。会社の資金で開発したわけですから、ちゃんと事業として成功させて、会社の未来を明るくするようなタイトルに育てなくてはいけないと思っています。
もうひとつの意味は、「プレイヤー」の皆さんです。遠い将来、プレイヤーの方々にとって楽しい思い出として覚えていてもらえるようなゲームにしたいんです。『メギド72』というゲームに出会えて良かったと思ってもらえる、そんなゲームに。だから、ストーリーもバトルも音楽も、心の底から感動を呼び起こすような、最高のクオリティを目指しています。
そして、「みんな」の中には、開発・運営に関わる全てのスタッフも含まれています。今いるスタッフも、僕がそうだったように、いつか他の会社へ転職していくかもしれません。その時、『メギド72』というタイトルが、その人の実力をきちんと証明するものでありたいですね。ここで良い経験を積んで、どんどんチャンスを掴んでいって、いつか大物クリエイターと呼ばれるような活躍をしてくれたなら、僕もちょっと鼻が高いじゃないですか(笑)。
最後の「みんな」は、「これから出会うであろうプレイヤー」です。既に多くのファンに愛されている『メギド72』ですが、今後もゲーム内外で様々な施策が予定されているので、より多くの方に楽しんでもらいたいですし、未来のソロモン王たちに出会うきっかけを作っていきたいなと思っています。
“みんな”にとって『メギド72』がより良いゲームになれるよう、運営チーム一同、今後も全力を尽くしていきます。僕には「勝算」がありますので(笑)、どうか楽しみに待っていてくださいね。
取材・企画:原孝則
編集協力:森口拓海、撮影:岸波崇
©DeNA Co.,Ltd.